こんにちは。
これだけは書かないと前に進めないので書かせて欲しい。
中には不快な内容もあるかもしれないけど、ごめんね。そんなときはそっと閉じてください。
1泊が連泊になった理由
日曜日、急に「祖母が入院している」という連絡があった。
月曜日1泊のつもりで、次男と実家のある岐阜へ。
急遽、明日一泊で次男を連れて実家に帰ることにしました。
仕方ないんだけど、今週の仕事…なんとかしないと。
家族が風邪ひき始めてる気がするのも怖いぞ…!— はに🐝🍯@戻ってきた?!ブログ「みにまに」/ライター (@hanisandayo) November 10, 2019
新幹線に乗ってる途中で「危篤」そして「亡くなった」という連絡が。
最期に一目生きている姿を見たくて新幹線に乗ったんだけど、仕方ないよね。
家族も誰も看取れなかった。
ドラマのようにはいかないものだ。
そもそも、認知症でここ数年まともに話せなかった祖母は、私たちのことを覚えているかどうかわからなかった。
会いには行っているが、意思疎通レベルは1歳半よりもひどく、誰のことも認識していなかっただろう。
意味わかんない人(=我々家族)たちに囲まれるために、息をひきとるのを我慢する必要はないよね。
好きなタイミングでよかったんだと思う。
普通なら1日後に通夜、2日後に葬式なのだが、2日後は友引のため火葬場が開かないらしい(こんなこともあるもんだ豆知識)。
というわけで、通夜は2日後でお葬式は3日後になった。
本気で1泊分しか荷物を持っていなかったのだが、東京→岐阜までは12,000円・かつ1歳児を連れて往復するのはつらい。このまま連泊することにした。
最近仕事を調整してもらったり、ツイッターで「1泊が連泊になった」という理由は祖母のことでした。(お仕事関連の方には説明しましたが)
調整いただき、本当にありがとうございました。
今後はパソコンの電源持って出掛けます。
何年も認知症で寝たきりだった祖母
祖母の話は前にもしているが、何年もまともに話せていない。
上の子のことはギリギリ、下の子のことは知らない人(私)の子供だと思っていただろう。
施設に入ったのは4年前なんだけど、思えば認知症自体はその前からずっと進行していて、実は10年くらいなんじゃないかと思う。
認知症って気づいたら進行してるから、わからないんだよね。本人も家族も。
最初はただ物忘れがひどいなーくらいだったのが、だんだん「お金とったでしょ」「まだ食べてない(さっき食べたばかり)」になり、トイレや食事の方法すら怪しくなり、ある日トイレでコケて骨折してしまった。
骨折で寝たきりになり、老人ホームに入ることになった。
認知症「だけ」だと施設に入るのは難しいんだそう。
寝たきりになると、点数が上がるから入れるんだって。
めっちゃ大変だったのに変だね。
思えば、「お金とった」とか「ご飯食べてない」って言ってる頃は生きてたな。
大変だったけど。
老人ホームに入っても、何度か会いに行った。
施設に入ればそれなりの訓練があるとはいえ、認知症は進行し続ける。
なんとか会話できなくもない→会話できない→歌しか歌わない(最期)
こんな感じだった。
一番最後は歌を歌っていた。どんな歌なのかは覚えていない。
「お金とった」も「ご飯食べてない」も言わないが、意思が全くなかった。
半年前に会ったとき、お茶はマグマグの中に入っていた。
80過ぎたばあちゃんが赤ちゃんようのマグマグかい…と思ったものだが、自分でお茶も飲めないということ。
もちろん食事も自分でできなかっただろう。
服は家族が適当に買ってきたものを着ていたし、食事は施設の人が食べさせていたし、移動は施設の人に連れて行ってもらわねばならない。
ここ数年は、食べたいものも行きたい場所も着たい服もやりたいことも、本当に何も無かった。
1歳次男のほうが、意思を持っている。
生きているとは
少し不謹慎なこと言うね。不快になったら何も言わずにそっと閉じて欲しい。
誰かにとっては不謹慎かもしれないが、私はここからの文章を数年後泣きながら読み返すんだと思う。
生きてるってなんだろうな…って思ってた。
誰のせいでもないんだけど、誰が選んだわけでもなく、本人は不幸ではないが幸せでもない。
祖母には長生きしてほしかったが、こんな状態で長生きしてほしかったわけではない。
下の子のことをちゃんと認識してほしかったし、上の子と遊んでほしかった。
まだまだ話したいことはたくさんあったんだけど、意思疎通ができなくなってしまったよ。
「お金とった」で揉めてるときは悲しかったが、この状態の祖母を見ていると別の悲しさがあった。
生きてるってなんなんだろうね。
やっと解放されたのかなとも思うんだ。
亡くなったときも、葬式中も、骨上げ中も、誰も泣かなかった。誰も泣けなかった。
生きててもこんな状態だったから、ある意味ほっとしたんだ。
どこで泣けばよかったんだろうと、みんなが思っている。
とても泣きたいから、この文章を書いているんだ。
私はあとで読み返して泣くために、あえてネットに垂れ流している。
空で好きなことをいっぱいしてほしい。お疲れ様。
あの日撮った写真
老人ホームに行くたびに、写真を撮っていた。
その1枚が遺影になった。
だったら、もうちょっとちゃんと撮ってあげればよかった。
jpegで撮ったから、まともな加工もできなかった。
せめて、真正面で撮ってくれよあのときの自分。
この写真がずっと仏前に飾られるのか。
だってさ、あの日撮った写真が遺影になるなんて、思いもよらなかったんだ。
意味わかんないやつ(私)に勝手に撮られて、それが遺影になってごめんね。
空で会えたら、もっとまともな写真を撮るよ。